縄文神社の定義づけを再考
明治神宮は、明治天皇ご夫妻を御祭神とする最も新しい「神宮」です。
「縄文神社」は「縄文遺跡と神社が重なる場所」と定義しています。明治神宮の広大な境内は台地上に位置し、湧水ポイントが何カ所もあり、貝塚や遺跡が何箇所も発見されていますので、その条件はクリアしています。しかし「太古より祈りをつないできた」という点ではどうでしょう。これをどう考えるべきかと自問自答し、その迷いを胸に抱きつつ、改めて参拝してみました。
縄文地形を想像してみると
縄文時代に遡ると、渋谷駅あたりまでが海で、神宮の鎮座する台地は海に接する半島でした。そんな地形や遺跡の位置などを気にしながら境内を歩いてみると、この重厚ながら朗らかな雰囲気は、私がこれまで出会ってきた縄文神社そのものだと実感しました。
そこで、神社の創建が新しい・古い、という軸だけでみてしまうのは、本質的なミスリードになるかもしれないと思うようになったのです。
振り返ってみると、これまでも鎌倉時代や江戸時代創建のお社を「縄文神社」としてご紹介しています。地形などを鑑みて、名は伝わらなくても、神社の前身にあたる祠や神祀りの場があったろうと想像してのことでした。
明治神宮の鎮座する地も、神祀りにふさわしい素晴らしい場所です。詳しくはぜひ本文をご覧いただきたいのですが、私は「縄文神社」として考えてみたいと思っています。
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『縄文神社 関東甲信篇』(双葉社刊)で詳細を掲載しています!
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