勝坂遺跡に鎮座する有鹿(あるか)神社奥宮へ
神奈川県相模原市の勝坂遺跡に鎮座する有鹿神社の奥宮は、『縄文神社~首都圏篇~』にもご登場いただきました。勝坂遺跡は縄文中期を代表する遺跡で、現在は公園となっており、「段丘、崖下、谷戸」の地形を体感できる、大変貴重な場所です。
昨日は、兄貴分の神仏探偵こと本田不二雄さん、『縄文神社』でも校正を担当してくださった内藤栄子さんにも同行していただき、改めてお詣りしてきました。
昨日は快晴。久しぶりに訪れた勝坂遺跡公園は、素晴らしいコンディション!段丘上にある芝生のゾーンを抜け、崖沿いを降りていくと有鹿谷(あるかやと)があらわれます。
聖なるものが生じる場所
有鹿神社奥宮のご神体は、崖下に湧き出る湧水です。そして、私は「有鹿」の意味を「聖なるものが生じる場所」ではないかと考えているのですが、その考えの源は、こちらにお詣りすれば、皆さんにもお分かりいただけるんじゃないかと思います。
御神体から湧出した水は、小川を成し谷戸を形成し、様々な植物や生物の命を支え、鳩川へと流れ込みます。「生命を生み出し育む」プロセスを、一目瞭然に見ることができるのです。昨日もお詣りして、そう体感し、改めて感動しました。こういう場所を「豊かな」場所というんだと私は思うのです。
相模川と鳩川の合流ポイントに鎮座する本宮
有鹿谷の聖なる水は鳩川を流れ、相模国の大河・相模川に合流します。その合流ポイント近くに、有鹿神社の本宮が鎮座しています。
奥宮から約7キロ。歩けなくはありませんが、ほとんどが車道沿いになりますので、できれば車がいいでしょう。車でしたら約20分の道のりです。今回のお詣りは、無事本が出版できたことの御礼と、宮司様、禰宜様にご挨拶したいという目的がありました。お二人とも本当にお優しい。例祭の準備でお忙しい中、お時間を割いてくださいましたよ。
宮司様が、「さあこちらへ…」といざなってくださいます。本殿後ろの崖下には相模川の流れがあり、本殿と川原の間には遊歩道があります。宮司様のご案内で本殿脇から社叢を抜け、遊歩道へとやってきました。
本宮も”縄文神社”だった!!
「最近わかったことなんですけどね、縄文遺跡が出ているのは、奥宮だけじゃないんですよ」
宮司様のお言葉に驚く私。以前報告書などで確認した際には、本宮周辺も遺跡だらけでしたが、弥生時代の住居跡の遺跡が最も古いのかな?という印象でした。しかし、その情報は古かったんですね。相模川周辺を工事するにあたり発掘調査を行ったところ、思いがけず縄文遺跡も出土したそうなんです(下の写真では、真ん中に土山がありますが、その周辺のようです)。
相模川のような大河の本流は水の流れがすごいですし、さらに本流と支流の合流点ともなると、水害も起こりやすいでしょう。その先入観があったので、この辺に縄文遺跡が確認できなかった時にも、そうだよな…、と納得してしまったんですよね。リサーチが甘かった…
「境内周辺は自然堤防でしたから、もしかしたら出るかも…とは思っていました。江戸時代以前は水害もなかったようですよ。自然に形成された地形は安定していて、強いですからね」
宮司様のお言葉に、なるほど~と膝を打つ私。「自然堤防」とは、川からあふれた水に含まれていた土砂が堆積してできる地形です。例えば水田地帯を想像してみていただきたいのですが、水田が広がる中に、周りと比べるとちょっと高い場所(微高地)に、居住地がありますね。人工的なものもありますが、自然に形成された地形も多く、そんな場所を「自然堤防」と呼びます。
縄文遺跡も自然堤防の上からは発見されていますし、縄文神社もいくつか確認してきました。例えば本でもご紹介した「鷲宮神社」さんも自然堤防上に位置していました……。そういうお社もかなりあるはずです。これは盲点でした。……宮司様。貴重なお話、ありがとうございます!!
これぞ最先端!「ネギ禰宜」と「パンダ宮司(代理)」
有鹿神社さんは格式の高い名社でありながら、遊び心満載なことでも有名です。そのような側面が有名になったのは「パンダ宮司(代理)」と「ネギ禰宜(ねぎ)」という存在。Twitterでも大人気ですし、パンダ宮司さんは、NHKworldや台湾のメディアでも紹介されたりしていて、ワールドワイドに人気があります。
境内、本殿の中を宮司様自らご案内いただき、すでに十分大満足の私たちでしたが、実はもう一つだけお願いしたいことがありました。それは「ネギ禰宜さんかパンダ宮司さんと一緒に写真を撮りたい」ということでした。ただどちらもお願いするのはおこがましすぎるから、ネギ禰宜さんだけに絞ってお願いしよう…ということになっていました。
「できましたら、ネギ禰宜さんにご登場いただくことはできませんでしょうか」とお願いすると、「いいですよ、少々お待ちください」とこころよくOKしてくださいました。
「おおおおおおお!本当にネギだ!ネギ禰宜さんだ~!」
思わず歓声を上げる私たち。
ネギ禰宜さんは実在しておられましたよ!
写真を撮っていただいて、十分に満足しておりましたが、なんと……
パンダ宮司さんも登場~!
可愛い~~!と歓声を上げる私たち。
パンダ宮司さん誕生の逸話、そして誕生させた小島実和子禰宜の熱い思いについては、ぜひwithnewsさんの記事をご覧ください。Twitterはもちろんですが、こちらを拝見して、さらに大ファンになってしまいました(正直言って、ちょっと泣いた)。
なぜ、神職の実和子さんが「パンダ宮司」を創り出したのか。
それは、「神社を大切に守っていきたい」、「神道が大切にしている感謝の心の大切さを伝えたい」というアツイ思いがあってのことなのです。そして、イラストを描いたり、パンダヘッドやネギヘッドの制作も、すべてご自分でなされている。熱い思いに加えてこの行動力。素晴らしすぎます。
母なる女神の力強さは未来へと
そして何より素晴らしい!と思ったのは、実和子さんが、とにかく楽しそうで明るい。そして、めちゃくちゃ優しいのです。そんな朗らかな実和子さんと一緒にいるだけで、私たちも楽しくて、はしゃいでしまいました。
そして、実和子さんのそんなお姿を見ていて、ふと、奥宮に鎮座するという女神を連想しました。私は本の中で「この美しい地を創出した母なる神」と表現しています。
女性は男性よりも体力がなくて体も小さく、一見弱々しく思われます。しかし実のところ男性よりも長生きですし、柔軟性が高いので変化への適応能力も強い。「母なる神」とはそんな力強さを持つ神…と、私は想像したのですが、当然ながら有鹿神社本宮にも、そんな力強さを感じます。そして実和子さんが、そんな女神の魂(こころ)を見事に体現されてるんじゃないか、と思ったのです。
私が『縄文神社』という本を書いたのは、私たちが生きているこの「日本」という大地には、長い時の中で育まれた歴史や心の蓄積と、たくさんの「良きこと」があるということを、皆さんにも気付いていただきたかったからです。
そして、それをお伝えするには、「縄文遺跡【縄文時代】」→「神社【現代】」という時の流れを内包した《縄文神社》という存在が、最もふさわしく、説得力があると思いました。神社は日本人の心(日本文化)のタイムカプセルであり、今と未来を支えていく「場」でもある、と考えているからです。そんな私の思いは、実和子さんのお考えと、重なっているような気がしました。
私は改めて、「有鹿神社さんにお詣りできて幸せだ~~」と思いました。奥宮で、太古からの水の女神の力を十分にいただき、本宮で宮司様と実和子さんが創り出しておられる、新しいチャーミングな生命力を、たっぷりいただいた気がします。
有鹿神社
基本情報:〔奥宮〕相模原市南区磯部1776(史跡勝坂遺跡公園内)
〔本宮〕神奈川県海老名市上郷1-4-41
縄文情報:相模原市立博物館(勝坂遺跡や周辺遺跡の出土品を展示)
相模原市中央区高根3丁目1-15
コメント
[…] 有鹿神社さんにお詣りした後、おかげさまで無事出版できたことのご報告と御礼、そしてご挨拶に参拝させていただきました。 […]