相模国を代表する”山の神”と”海の神”に遥拝できる聖地「比々多神社」(神奈川県伊勢原市)

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「縄文遺跡がある神社」と言えば…

私が”縄文神社”という言葉を思いつく前のお話です。遺跡が境内にある神社を、少しずつメモしていました。縄文時代だけでなく、弥生時代、古墳時代といろいろな時代をごちゃまぜに書き留めていたのですが、想像以上に縄文遺跡が多いなあと思っていました。でも「神社の起源は弥生以降」という先入観がありましたし、たまたまかな?と思っていたんです。しかし、岡谷公二先生の『原始の神社をもとめて』(平凡社新書)を読んだことで、多いと思ったのは気のせいじゃないかも…!?と、一気に「縄文×神社」にフォーカスすることになります。

本書で岡谷先生が「神社の起源」について語るにあたり、最も最初に例証として紹介しておられるのが「比々多神社」なのです。また、この本をきっかけに、関連の資料を読むにつれわかったのは、「縄文遺跡がある神社」としてまず挙げられるのが、この比々多神社さんなんだということ。研究者の方々の間では、常識なんだろうと思います。

そんなわけで私にとっては、エポックメーキングとなった比々多神社さんは、特別に思い入れのある大好きなお社なのです。『縄文神社』にも、もちろんご登場いただきました。

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可憐で優しい雰囲気にほっこり

有鹿神社さんにお詣りした後、おかげさまで無事出版できたことのご報告と御礼、そしてご挨拶に参拝させていただきました。

本殿本

昨年は二回お詣りしているのですが、そのうちの一回は、ちょうどいまくらいの季節。その後は秋でしたから、もう半年以上前のことです。月日が経つのは早いですよね。

まずは本殿にお詣りしてご挨拶。相変わらず、端正で可愛らしい雰囲気にほっこり。やはり比々多神社さんは和むな~。

縄文時代はもちろん相武国時代にも

本殿エリアの裏からは、ゆるやかな斜面になっています。こののどかな道を上って、元宮を目指します。

本殿の裏手の社叢を抜けるとこんな風景

比々多神社本殿は、400年ほど前まで、もう少し高台にありました。上の写真の正面あたりに白い建物が見えますが、あのあたり。「埒面(らちめん)」と呼ばれる場所で、この一帯からは祭祀が行われていたと思われる縄文遺跡と、円墳が出土しています。

この古墳は相武国国造(さがむのくに*くにのみやつこ)のお墓と考えられていて、6世紀末ごろにもこの地に相模国の政治的・祭司的中心が営まれていたことが分かります。縄文時代から古墳時代を経て中世へと、「祈りの場所」が継続してきたことが事実としてわかりますね。
*相模国東部の国名。大化の改新以降、相武国と磯長国を合併して相模国となった。成立からしばらく相模国の中心は、旧相武国にあったという。

《縄文マインド》を整えて元宮へ

ちなみに、現在本殿があるエリアからも、またその周辺一帯からも縄文遺跡が出土しています。つまり視界にはいってくる場所のすべてが、長い時の中でずっと祈りの地だったと考えてもいいかもしれません。そんなふうに考えながら、この緩やかな坂道を上っていく…。そうすると、次第に自分の心もちが《縄文マインド》になっていきます。

《縄文マインド》とは、「この地に縄文の人たちがいたんだな」と頭にインプットし、「縄文の人だったらどう感じるだろう」と想像する心の状態のこと。私が勝手に言い出した言葉ですが、実はこれがけっこう大事なんです。

同じように歩くのでも、そういう心持ちで歩くと、入ってくる情報が全然違います。見えてくる風景も新鮮になりますし、気づくことも格段に増えます。

元宮

そんな心もちで歩きながら、元宮に到着。ここでまずはお詣りをして、そして後ろをくるりと向いてみてください。この風景がもうなんとも堪らないのです。

 現在の元宮が鎮座するところは、埒面よりも一段高い高台にあります。400年前までは、写真右手の埒面に本殿があったんですね。そして、現在の本殿があるところの延長線上に、江ノ島が見えました。写真だとちょっとわかりにくいと思いますが、肉眼ではみられると思います。

また、本殿の社叢の左奥に伊勢原市の市街地が見えますが、縄文時代にはこの半分くらい手前の地点まで海が来ていました。そう考えますと、かなり海が近いですよね。すると江ノ島はもっとはっきりと見えたと思います。

大山と江ノ島に遥拝できる聖地

元宮・埒面・本殿含め、この比々多神社エリアからですと、北東方向には霊山・大山が見えるんですね。そして南東方向には江ノ島と相模湾が見えます。

大山も、江ノ島も縄文以来の聖地だったと考えられ、つまりこの地は、「山の神・大山」と「海の神・江ノ島」を遥拝する聖地であったのではないでしょうか。

ヤシの木が鳥居のよう

相模国(神奈川県)には、たくさんの古い聖地がありますが、比々多神社さんはそもそも段丘上の良地にあるという点に加え、相模を代表する山の神(大山)と、海の神(江ノ島)の両方に遥拝できる場所だったという点で、特別な聖地だったのだろう、と想像しています。

***

今回も、お忙しいところに突然お邪魔してしまいましたが、宮司様は温かくお迎えくださいました。そして奥様、また先代の宮司様にもご挨拶ができて、本当に良かった。皆さんから溢れ出る温かさ・優しさは、まさにお社で感じる雰囲気そのまま。神社の雰囲気は、お祀りしている方々の雰囲気と一致しているなあと改めて思います。

皆さんにもお詣りして、この温かさを体感していただきたいと思います。そして、ぜひ境内に開設されている三宮郷土博物館も見学してみてください。『縄文神社~首都圏篇~』にもご紹介した”イノシシ鼻の女神”こと、「顔面把手」の本物をみることができますよ!

比々多神社
 基本情報:神奈川県伊勢原市三ノ宮1472
 縄文情報:三宮郷土博物館(境内にあります)

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