大阪のサキ「上町台地」の縄文遺跡、神社を巡る!

森ノ宮遺跡(大阪市)
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関西の縄文時代を知りたい

約1週間にわたる関西取材旅。無事、終了しました~!今回の旅は、関西の「サキ」を巡る旅。それは、関西の縄文神社を探すということで、「縄文神社」という新しい視界で、関西を歩いてみる、ということでした。

縄文神社を探すには、地形を調べたり、遺跡の位置を確認したり…という下調べから始めます。そういう作業を通して、自分の中で、今と縄文の感覚をつなぐようなことをしていきます。これまで歩いてきた関東や信州・甲州は、もともと「縄文」イメージのある地域でした。しかし正直言って、関西は縄文のイメージが薄い…。縄文時代の人口も少ないと推定されていますし、何より弥生以降の文化層が厚すぎて、それ以外に語るべきことが多すぎます。しかし当然、関西にも縄文時代はあったわけで、それを知らないのはもったいないですよね。

そんなわけでほぼゼロに近い状態から、「関西の縄文」イメージを自分の中にインプットする必要があります。そのためにも関西の有名な遺跡の出土品の現物や場所を見てみたいと思ったわけです。やはり実際に遺物を見ながら学べると、縄文のイメージがクリアになりますからね。

そんなわけで今回ポイントになったのは、大阪の森ノ宮遺跡(大阪市)と恩智遺跡(八尾市)。奈良の橿原遺跡(橿原市)と布留遺跡(天理市)、京都の北白川遺跡群(京都市)です。それぞれの遺跡地と、収蔵されている博物館に行って、現物を堪能してきました。

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上町台地に発見された「森の宮遺跡」

2024年3月2日は、森ノ宮駅前の森ノ宮ピロティホールの地下にある、「森の宮遺跡展示室」が公開される日でした。実は大阪の縄文遺跡をリサーチしていましたら、たまたま見つけたんです。タイミング的に本当にラッキーでした。

森の宮遺跡は、関西を代表する縄文遺跡です。上町台地の東斜面に位置し、縄文中期から近世までの遺物が出土する複合遺跡です。縄文後期から弥生時代の貝層からは、9体の屈葬遺体を含む人骨18体と、土器や石器が発見されています。

展示室では、屈葬人骨(全身)も展示されていました。御遺体をこちらに掲載するのはちょっと遠慮させていただきますが、じっくりと拝見することができましたよ。

中津式は瀬戸内・近畿を中心に分布する縄文後期初頭の型式。

やはり上町台地には、様々な地域の人々の交流があったことがうかがえます。それにしても新鮮です。上の写真は、岡山県に標識遺跡がある中津式土器。関東だと、称名寺式あたりなのかな?? そういった用語もまだまだよくわからない状態です。勉強勉強。

石器のコーナーを見ても、祭祀具が少ないかなと思いました。生活用具が主なんですよね。東日本では、これだけ大きな貝塚ですと、祭祀具の石器がたくさん出土すると思います。この辺もちょっと違う点なのかもしれません。

森の宮遺跡の地図を見ていて、発見!?

そんな中、ちょっと言葉を失うような珍しい遺物が展示されていました。それがこちら↓

人の下あごを加工した装身具(想定)です。縄文遺跡で、人間の遺骨を加工して装身具にする習俗というのは、私の少ない経験ではありますが、見たことがありません。

関西では結構あることなのかと学芸員の方にお尋ねすると、関西でもここ以外では見られないとのこと。全国でも二例しか発見されていないそうです。いやあ、これはすごい…。

それにしても、やはり実際に見てみると、いろいろと考えさせられますね。まだ自分の中にデータベースができていませんが、関西の縄文に直接触れたような感覚が、とにかく嬉しい。

そんな思いで、もう一度森の宮遺跡の位置を確認してみます。

森ノ宮駅周辺は、縄文時代にはこんな感じだったんですね。黄色いところまでが地面で、左側に広がるブルーの部分まで海です。

さらに地図をよく見てみると、遺跡の範囲内(駅からすぐのあたり)で、「森之宮神社」の文字が!? こ、これは縄文神社と言っていいのでは!?

私は、あわてて日が暮れる前に、「森之宮神社」へと向かいました。

(続)


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