洞穴の神祀りを発祥とする名社「普天間宮」(沖縄県宜野湾市)

普天間宮社殿
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宜野湾市は洞窟だらけ

沖縄本島中南部に位置する宜野湾(ぎのわん)市は、炭酸ガスを含む水に溶けやすい性質のある「琉球石灰岩」という地質が大半を占めているため、なんと133もの洞窟があるそうです。

これらの洞窟は、旧石器時代から人々の暮らしに役立ってきました。貝塚時代前期(沖縄県独自の歴史区分。縄文時代に相当)の遺跡も多く発見されていますし、また祈りの場所や墓所としても大切にされており、現在も人々が祈りを捧げる「御嶽(うたき)」となっているところも多いのです。

たまたま宜野湾市立博物館で「洞窟のナゾ」展をやっていたので、沖縄の縄文時代(貝塚時代前期)を勉強がてら、いそいそと参観してきましたよ。素晴らしい展示で、大変勉強になりました。12月22日まで会期がありますので、ぜひともいってみてくださいね!!(しかも無料です。すごい!)

宜野湾市立博物館(写真をクリックすると宜野湾市のページにジャンプします)
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縄文時代の遺物も発見された普天間宮洞穴

今回、「縄文神社という視点で沖縄を巡拝しよう」と考えた時、真っ先に頭に浮かんだのは「普天間宮(ふてんまぐう)」。というのも、境内の本殿奥下に洞穴があり、縄文時代の遺跡だと聞いていたからです。その洞穴には奥宮が祀られていて、以前そちらで拝観させていただいた記憶がありました。

宜野湾市立博物館の展示に写真がありましたので借用いたします。

この洞穴は「普天満宮洞穴」といい、全長はなんと280mに及ぶそうで、洞窟内と東洞口付近から、主に貝塚時代前期後半以後(約3000年前)の遺物が発見されました。普天間宮では、いつのころからかこの洞穴で神祀りを始めたのを発祥とし、現在に至ると伝えておられます。

晴れやかで奥深い、いかにも沖縄らしいお社

宜野湾市立博物館からは、車で15分ほど。普天間基地にだいぶ土地を狭められてしまっていますが、右手から入っていくと裏手に広い駐車場があります。

駐車場に車をおき、正面まで戻って鳥居前にてご挨拶。このグレーと赤茶の瓦の対比が、いかにも沖縄のお社ですね。この日は雲の多い日でしたが、だんだん青空が見えてました。その雲の流れも日光も相まって、実に晴れやかで美しい。

拝殿前でお参りをすませてから、左手の参集殿で拝観の申し込みをして、奥宮のある洞穴へ行く時間を待ちます(洞穴へは20分間隔で、巫女さんが案内してくれるシステムです)。奥宮へのゲートがオートロックなことに密かに驚きつつ、巫女さんの後ろを進むと、廊下に洞窟から出土した動物の骨などが展示されていました。今は絶滅したリュウキュウジカなどの骨です。

そしていよいよ、洞穴に至りました。そこに立った途端、私は溜息を洩らしました。実に美しいのです。そして洞穴という、ともすればちょっと怖いと感じる場所にもかかわらず、晴れやかで生命力に溢れていると感じる。それは、今の普天間宮の皆さんのお守りあってのことと思いますが、同時にそもそもの場の個性といいますか、そういう場所なんだなと思います。そしてこの空気感、まさに「縄文神社」!と思いました。

琉球の熊野権現信仰(そして真言密教と縄文神社)

現在、普天間宮のご祭神は、本宮に伊弉冉尊、相殿左に速玉男尊、右に事解男尊とされていますが、その前には熊野三所権現をお祀りしていました。尚金福王から尚泰久王(1450-60年)の頃に、熊野権現を合祀したと伝わり、明治以前は神仏混淆のお社だったのです。

このような琉球王家による熊野信仰の痕跡は、普天間宮のほかにも随所に残されています。この熊野信仰についてはちょっと複雑なので、稿を改めて書いてみたいと思いますが、王家により格別な扱いを受けた寺社を「琉球八社」と呼び、今に至ります。

八社を上げてみますと、那覇市の波上宮を筆頭に、沖宮、安里八幡宮、識名宮、末吉宮、天久宮。宜野湾市の普天間宮、金武町の金武宮。安里八幡宮以外の祭神は熊野三所権現で、いずれも「権現」と通称されてきました。また、琉球八社には必ず真言密教のお寺がセット(かつての別当寺、神宮寺)になっているのも、私としては要チェックポイントではあります。その点からも、琉球八社の多くは縄文神社である可能性が高いと、思っていたのですね。

神宮寺。普天間宮の左手お隣にあります。

普天間宮の鳥居の左手の方に、現在も「普天間山神宮寺」があります。普天間宮にお参りするときには、ぜひこちらもお忘れなく。ご本尊は聖観音さんだそうですが、琉球八社の他のお寺さんも、ご本尊は観音さんのようですよ。このあたりも、実に興味深いです。

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