九州北部の旅から沖縄へ!

志賀島から能古島と博多湾を望む

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福岡県を巡ってきました!

気がついたら今年も残すところ2か月を切りました。大分、アップがお久しぶりになってしまいましたが、皆様、お元気でしょうか。それにしても2024年はあっという間でした。私事の方でも諸々ありまして、今年は特に早く過ぎ去った気がします。

さて、こちらへの反映が滞っておりますものの、相変わらず縄文神社巡礼は続けておりまして、先月はついに北部九州へと歩を進めておりましたよ。一週間ほど、福岡県をぐるぐるしてまいりました。あまりにも知識がありませんので、縄文遺跡と神社というよりは、縄文から弥生の有名な遺跡を時間が許す限りたずね、式内社を中心とした神社を巡った……という感じです。

ご存じの通り、九州は火山の噴火などによって、空白の時間が生じてしまっているために、縄文からの信仰と現在とが「継続」しているかについては、なかなか難しいものがあります。

しかしながら、佐賀県の腰岳では黒曜石が産出されていましたし、縄文文化の痕跡はそこここに存在しています。私が提唱している「縄文神社」(祈りの場として神社と遺跡が重なっている場所という意味)にはまる神社はそう多くありませんが、弥生時代を代表する遺跡からは、下層に縄文土器が出土している例もかなり多く、人々が暮らした地は、かなり重なっていたんだろうと思います。ただ、縄文祭祀の痕跡がある場所に、今も神社が鎮座している…という関東や中部地方でおなじみのパターンは、あまり多くないと感じました。

吉野ケ里遺跡の甕棺墓群。九州の弥生時代すごい!

とはいえ、縄文神社と呼びたいお社も、もちろんあります。今回はお詣りできませんでしたが、例えば宗像大社。御神体の沖ノ島からは、縄文時代の遺物も出土しており、その頃から祭祀が行われていたことがわかります。どの時代にも、海人の人々の聖地だった場所なのでしょう。また傾向として岩石に対する特別な感性は、洞窟で行われた祭祀とつながっているんじゃないかと思っておりますが、九州の伝統として今も実によく残っていると思います。

今回は、北部九州と言いながら福岡県の一部を巡拝したにすぎません。しかも、宗像市や北九州市には時間が足りなくていけませんでしたし、佐賀県や大分県にも足を運びたい。…というわけで、九州にはまた日を改めていくことに決めました。

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沖縄で「縄文神社」という視点は通用するか否か

そして帰ってきて、資料を整理してましたら、急に激しく「沖縄を巡拝したい!」と思いたち、飛行機を予約してしまいました。沖縄の聖地であるグスクや御嶽(ウタキ)については、数十年前から関心がありました。そして、沖縄から九州。済州島、朝鮮半島の関わり合いについても強い興味があり、博多から壱岐、対馬を歩き回ったりもしていました(海人族の痕跡を辿ったりして)。急に沖縄に行かねば!となったのも、その辺の感覚が、今回の九州旅で刺激されたのです。

実は、沖縄が好きすぎて年に何度も通い、沖縄民謡を習ったりしていたのですが、合間を見ては、グスクやガー(泉、川)、御嶽などを巡拝していたのです。その頃は、なんとなく好きでおまいりしていたのですが、あれから月日が流れ、自分の中で熟成されてきた「視点」があります。この状態で、沖縄を改めて歩いてみたいと思ったのです。

もちろん琉球島周辺には、日本本島とは異なる固有の文化が根付いています。いわゆる「神社」というのは、中世以降に外から来た新しい表現です。そんなわけですので、「神社、ウタキ、グスク」などという呼び名で、地元の皆さんに大切にされたきた聖地全般を考えたいと思っています。

これらの根源は、どこまでさかのぼれるんでしょう。周辺に縄文遺跡はあるんでしょうか。そもそも「縄文神社」というアイデアは、沖縄の聖地にも当てはまるコンセプトなのか…。

じつは、事前リサーチしている段階でも、かなり手ごたえがありました!実際に言ったら、また違う何かがわかると思います。帰ってきたら、こちらで皆様にご報告したいと思いますので、少々お待ちくださいね。

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