これぞ”縄文神社”!心も体も元気になる湧水の聖地「北本高尾氷川神社」(埼玉県北本市)

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元気になりたい時、たずねたくなる場所

埼玉県在住の私にとって、最もよくお詣りしている縄文神社が、この北本高尾氷川神社です。

どうも元気が出なくて、気分を変えて前向きになりたいな…と思うと、ついつい足が向いてしまいます。車で3,40分で行けるということもありますが、それに加えて、高尾氷川神社で感じられる優しく温かい雰囲気が理屈抜きで大好きなんです。

周辺に展開する宮岡谷津

なんと言ってもこちらがすごいのは、縄文時代から利用されていたと考えられる湧水、そして湧水が創り出す「谷津」風景をそのまま体験できるということ。こういう場所が、縄文の皆さんが好んだ場所なんだなあと想像しながら歩くと、しみじみとした気持ちになって、しみじみと元気になります。そして好むのは縄文の人々だけではないですよね。現在を生きる私たちにとっても、ものすごく気持ちのいい場所なんです。

ちなみに、この高尾氷川神社では、鳥居の前あたりから縄文後~晩期の集落遺跡が出土しました。大型住居や、土器、土偶、石剣などがたくさん出土しており、そのラインナップからしても祭祀が行われている集落であったことが想像されます。

集落には氷川神社を中心に、厳島(いつくしま)神社と須賀(すが)神社が並びます。集落の背後にはぐんと標高が下がり、美しい谷津が展開しているんです。つまり、縄文時代から今に至るまで、集落がある場所は台地上で共通しているということ。そして現在には氷川神社と須賀神社が鎮座し、厳島神社がある場所は台地崖下の湧水ポイント近く…ということになります。

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”縄文マインド”スイッチオン

高尾氷川神社は、拙著でもご紹介しましたが、とにかくあの環境を皆さんに体験してみていただきたいなあ、と思うんです。

そしてここでひとつお勧めしたいことがあります。それは、お詣りする前に「このあたりには縄文の人々の生活があったんだな。縄文の人々が愛した場所を今自分も歩いているんだな」と念じてみてほしいんです。そして「縄文の人々と同じような視界を持ちたいな」と思ってみてください。そんなふうに思いながら歩くとなんとなく見えてくるものが変わってきます。

私はこれをマインドの「設定変更」と思ってまして、《縄文マインドにスイッチする》と言った言い方をしています。

北本高尾氷川神社。道を挟んで厳島神社があり、道をそのまま進んでいくと左手に谷津の入り口がある

ちなみに縄文時代の遺跡は、この鳥居の前あたりから発見されました。ですのでこの辺でその《縄文マインド》にスイッチオンするのがいいかんじ。

そしてここから本殿にお詣りして、左サイドの厳島神社にお詣りします。厳島神社はいわゆる下り宮。鳥居から石段が下っていて、丸い島の上に鎮座しています。

厳島神社は台地崖下にある谷津の谷頭に鎮座している

周辺の水は湧水です。この湧水が縄文時代に集落ができた理由であり、神社の根源でしょう。現在お祀りされている厳島神社の祭神は市杵嶋姫命ながら、赤い幟には「厳島弁財天」とあります。神仏分離令以前は弁天社だったそうなんですね。弁財天は仏教の女神ですが、縄文神社を探していると、非常によく登場する女神でもあります。

文系的関心と理系的関心の接点

厳島神社でお詣りした後には、宮岡谷津へ。厳島神社から西方向に広がっていますが、その入り口は別にあるので、石段を上って高尾氷川神社脇の道へ戻り、車道を歩いて入り口から入りましょう。

宮岡谷津の遊歩道

宮岡谷津は、高尾宮岡景観地というトラスト指定保護地区になっています。整備されて、遊歩道もあるので歩きやすいです。写真の道をまっすぐ歩いて、T字路を左に折れますと…

木橋があるあたりは湿地部分

そこから先は、このような木橋が設けられています。この木橋の左前方に厳島神社がある谷頭、その台地部に氷川神社や須賀神社があるという位置関係です。

こちらの谷津には何箇所か湧水点があるそうですが、実際にポコポコと湧いている場所を見ることはできません。そこは想像を膨らませて、この光景を十分に楽しみましょう。

よく見ると水がヒタヒタ

縄文神社巡礼をしていると、神社や歴史といった文化的要素にプラスして、地形や植生と言った自然的要素にも関心が向かいます。一番関心が向かうのは地形かもしれません。縄文時代にここはどんな場所だったかを想像するには、必要な要素ですからね。そして、縄文の人たちはここでどんなものを食べて暮らしていたのかな~とも考えます。すると、この場所でゲットできそうなもの――魚や鳥、植物についても興味が湧いてきます。

つまり縄文神社は、「文系=文化的関心」と「理系=自然事象への関心」の接点にもなり得ると思うんです。そういう意味でも、《縄文神社》というコンセプトは、可能性大きいなあ、と僭越ながら思うんですよね。

谷津から須賀神社へ

左手に進んでいきます

植物や虫、鳥などを見ながら谷津を楽しんで、一度車道(鎌倉街道と伝承されるルートでもあります)に戻って、ゴール地点の須賀神社へ。ゴール地点と言っても、高尾氷川神社のお隣ですので、元の地点に戻るというルートです。

こちらの須賀神社もまた立派ですね。

須賀神社は江戸時代初期の創建で歴史は新しく、明治以前は牛頭天王(ごずてんのう)社と呼ばれていました。牛頭天王は神仏習合の神で、日本独自の神です。京都の八坂神社が有名ですが、関東でも多く信仰されました。明治期に「牛頭天王」という名称を使用することを禁じられたため、徹底して改称してまして、関東では「須賀神社」、「八雲神社」という社名のお社は、ほとんどそのような歴史を持っています。

牛頭天王の化身はスサノヲノミコトと考えられていましたので、現在の主祭神はスサノヲノミコトで、たまたまなのか必然なのかわかりませんが、氷川神社の主祭神もスサノオノミコトですから、この周辺は、スサノオノミコトをお祀りする神社が集中しているということになります。

ここまでのルートは、寄り道しながらゆったり歩いても1時間ほどでしょうか。それでも、こういう雰囲気が《縄文神社》なんだということを実感していただけると思いますし、普段の生活とは違う、トリップ感を味わえると思います。

こういう状況下ではありますが、それほど人が密集することもないと思います。《縄文神社》を体験してみたいという方、ぜひ足を延ばしてみてください。そして、もし心が沈んで、元気が出ないなあという方もぜひ高尾氷川神社へ! 東京から1時間で行けますよ~!

北本高尾氷川神社
 基本情報:埼玉県北本市高尾7丁目29

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