貫前神社のヒメ大神が最初に降り立ったテーブルマウンテン”荒船山”へ「荒船神社」(群馬県甘楽郡下仁田町)

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ようやく荒船山に登ってきました!

6月に「貫前神社」に参拝してから、はやいもので4か月。「とりあえず来週あたり荒船山に登ろうと画策中」なんて書いてましたけども、あまりの猛暑に、己の体力のなさを冷静に考えまして、登山を断念。秋に登るぞ~!と心に決めていたのでした(そんなわけで今回のご報告は、神社レポートと言うか、登山レポートのような、番外編のような…^^;)。

荒船山は台地上の山(標高1423m)で、いわゆるテーブルマウンテン。それだけでも特別なのに、2km×400mの平らな山頂に水が湧いていて、湿地と沢を形成しているというんですからびっくりします。大きな岩のように見える山頂に水が湧いてるだなんて…。

山頂・大岩壁「艫岩」上からの景色。絶景

実際、遠くから見ても、荒船山は目立ちます。なんであんなにフラットな形してるんだろうなあ、と不思議に思うんですね。そこに水が湧き、山麓とは異なる植生があって…なんて聞くと、想像力を掻き立てられますね。そう感じるのは昔の人も同じだったようで、この山頂に女神が降り立ったという伝承があります。それは、実際に登ってみると納得。中国の神仙たちが住む「仙境」みたい。あるいは桃源郷と言ってもいいかも。こういう場所には、神が住むだろうと想像するのは、自然な気がします。

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山頂に確認された縄文の遺物

そしてこの地に降り立った女神は、現在、貫前神社に祀られている「比売大神(ひめおおかみ)」ではないかとも考えられています。その神は、まずこの荒船山に天下って、その後、稲含山に遷り、最後に貫前神社に遷った…と伝わるんです。

群馬県には、赤城山や榛名山や妙義山など名山が多く、それぞれが神山として、信仰世界を形成しています。岩船山もその中の一つで、「荒船山→稲含山→貫前神社」というルートは、その信仰圏をあらわしている、と考えていいでしょう。

上野国一之宮・貫前神社。かつて本殿背後の菖蒲が谷に神水を汲む泉が湧いていたが、
女神を祀るために月一回は水が濁ったと伝わるという(『日本の神々』より)

そして、どうしても荒船山に登ってみたいと思ったのは、もう一つ理由があります。それは山頂の沢付近から、縄文時代の石鏃も出土していると知ったからです。

『縄文神社』でも書きましたが、信仰の対象になっている山の山頂から「石鏃」「石斧」「縄文土器」などの遺物が発見され、その山を遥拝するベストポジションから、祭祀跡が発見される、ということがすごく多いと思うんです。荒船山もまさにそのパターンではないかと思うんですね。これはいかないわけにはいきません。

水源の女神の聖地

個性的な山容で、遠くから見ても目立つ荒船山には、古くから信仰の山でした。そのため、様々な伝説が伝承されています。中でも個人的に印象的なのは、安閑天皇の頃(6世紀初頭頃)、インドのアショカ王の妹さんが、笹岡山(荒船山)に降り立ち、山頂の湧水(菖蒲池)に住んだという伝説です。

アショカ王というのは、紀元前3世紀ごろの実在の人物。アショカ(阿育)王は、仏教を守護したことで有名で、仏教説話によく登場する聖王です。6世紀・安閑天皇の時代とは時代が合いませんから、荒船山の女神についても、仏教説話的な世界観で語られている物語と思ったほうがよさそうです。このような物語は、中世の修験道的な信仰に発しているのではないかと思います。

つまりこの物語から読み取れるのは、荒船山周辺にはやはり修験道が盛んだったんだなー、ということ。そして山頂の水源に女神が降り立った(住んだ)という物語は、一般的によく知られる発想だったということですね。水源に住んだ…ということは、水の女神ですね。

艫岩(ともいわ)へ向かって山道を歩きます

今回は、長野県佐久市の内山峠の近くにある登山口から登ってきました。登山道には、山栗やドングリなど堅果類がたくさん落ちています。実に豊かな植生で、縄文の人々が喜びそうなものが豊富だなあと感心しつつ進みます。ちなみに、登山道と山頂では標高と言うよりは、岩質の違いによって植生が異なるそうです。

尾根を伝って、山頂に到達すると、そのフラットさに改めて驚きます。これが山頂なんて信じられない。まさに異界です。

こんこんと流れる清流の美しさ

大岩壁で有名な艫岩付近から10分ほど歩くと、山麓にある里宮・荒船神社の奥宮がひっそりとたたずんでいます。この石祠がおそらく群馬県側の奥宮かな?とと想像しつつお詣りしました。

周辺は笹が群生していて、荒船山の古名「笹岡山」にぴったりはまりますね。そしてすっと抜ける風に、笹がサワサワと音を立てます。透水性の高い岩質で、こうした地質は草原化しやすく、笹や低木が多く、大きな木は育ちにくいそうです。

山頂の奥宮。こちらが荒船神社の奥宮…(かな?)。実はもう少し先にも石祠がありました。

さらに進んでいくと、美しい沢があらわれました。
豊富な水量の湧水にびっくり!!!

山頂を流れる水流

それにしてもこんな山頂初めてです。山頂ではなくもう少し引く言うポイントから水が湧き出るのはわかりますが、山頂からとは、いったい…。この不思議を、昔の人々も感じたことでしょう。そしてこの場所が「水神の住まう地」と考えられたのは、とても自然な気がします。

こんなに水量があるとは!最高すぎる!

資料によると、この沢の上流あたりで石鏃(やじり)が発見されたようです。表面採取とのことで、詳細は不明なことも多いようですが、冒頭でお話したように、山頂にこのような遺物が確認されるのは、他の信仰の山でも見受けることです。またこれだけ特別な山容でなおかつ水源もある山であれば、縄文時代にも信仰の対象になったはずで、そりゃそうだよ、なるほどなあ、と激しく納得です。

信州の神タケミナカタと香取の神フツヌシ、決戦の地

山頂にはほ起伏がなく、豊かな清流が流れる森といった趣きなので、自分が今どこにいるのかと、不思議な気持ちになります。今回は時間配分を間違えて水源を探せませんでしたが、水源は三カ所ほどあるようです。次回はもっと早く来て、水源を探したいなあと思いつつ、先を急ぎます。

荒船山には、もう一つ有名な神話があります。それは、神代の話。信州の神・建御名方神(タケミナカタのかみ)と、香取の神(ヤマト朝廷側の神)・経津主神(フツヌシのかみ)がこの地で決戦したという神話です。

皇朝最古修武之地の碑

それはもう熾烈な戦いで、千曲川の水が血で赤く染まった…なんて言う伝説もあるそうなので、「女神の聖地」の優しいイメージから一転して、途端に血なまぐさくて、男臭い世界の話になってしまいます。

神々の戦いですから史実ではありませんが、この場所が、信濃と上野の境界線として認識されていたことを示しています。現在でも、信州川の山麓・佐久市にある里宮(荒船山神社)にはタケミナカタ、上野側・下仁田町の里宮にはフツヌシが祀られています。同じ山の里宮でありながら、違う神様(しかも敵対している神々)を祀っているのは珍しいように思います。

荒船神社(群馬県下仁田町の里宮、御祭神は布津主命)

今回は下山後、下仁田の里宮にお詣りしてきました。静かな里に佇むお社の建物は新しいですが重厚な雰囲気で、参道に生える御神木の太さが、その歴史を物語っています。

          ***

そして、改めて今回の反省点。山道の植生が面白すぎて寄り道しすぎました。時間が足りなかったので、山頂が駆け足になるという本末転倒っぷり。次の機会には山頂をメインに、水源を探してみたいと思います。いずれにしても、実に素晴らしい山でした。

荒船神社(荒船山里宮)
 基本情報:群馬県甘楽郡下仁田町南野牧

一之宮貫前神社
 基本情報:富岡市一ノ宮1535

コメント

  1. 鈴木克久 より:

    こりゃまた行きたくなるようなとこをアップして頂いて感謝です。

    いろいろと深いですねー、縄文神社って。

    • 武藤 郁子 より:

      ぜひ行ってみた下さい。素晴らしい場所でしたよ!
      「縄文神社」という見方をしてみると、縄文時代から現代までという長い時間に対して興味が湧いてくるからか、
      どんどん関心事が多くなってしまいます。それが、この視点の面白さだなあと思います♪

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