二宮神社(あきる野市)で感じた”聖地と聖地を守る人々”の相愛関係

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先代宮司様を偲んで…

久しぶりに、大好きな二宮神社さんにお詣りしてきました。今回は、『西の風新聞』のIさんが繫いでくださったご縁です。先代宮司様の跡を継がれた、河野禰宜様にご挨拶させていただくことができました。

先代宮司様には、さまざまなことをご教示いただきました。そして、私の原稿を読んでくださり、「武藤さんの発想に違和感はありません、あなたらしい表現でいいと思う」と肯定してくださいました。

このコンセプトを思いついたとき、私なりには根拠もあり、新しい提案を含んだ有益な考え方だと考えていたのですが、一方で、勝手なことを言っているという自覚も、当然ありました。なので、当事者である神社の皆様には嫌がられてしまうんじゃないか…と、ちょっと怯えていたのです。しかし、先代宮司様が肯定してくださったことで、心を強く保つことができました。そして、最後まで走り抜けることができたのです。

先代が急逝されてしまい、生前にご挨拶できなかったことが悔やまれますが、息子さんの河野洋さんにお目にかかれて、本当によかったです。

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「石棒」はどこに?!

七五三でお忙しい中、河野さんは、拝殿の中にご案内くださいました。そして、いろいろなお話をしていく中で、本殿の裏手に確認されている縄文時代の祭祀遺跡について話が及びました。

報告書に「石柱が出土した」と記録されてたのですが、その石柱は「今どこにあるか定かでない」と教育委員会の方に聞いていました。その件を先代にお伺いしたところ、「ああ、その石柱は本殿にありますよ、僕は石棒の一部だと思っている」とおっしゃったのです。

「今度きたら、見せてあげますよ」

先代とそんなやり取りをしたことを河野さんにお伝えすると、気さくで優しい河野さんは「一緒に探しましょうか」とにっこり。私たちは本殿の外側を、いっしょに探して廻りました。

拝殿正面。この奥に本殿があります

すると……、ありました!!
美しい石棒です…!!!

私も不勉強ではありますが、数だけは結構拝見しております。頭部が欠損していましたが、確かに縄文中期の石棒だと思いました(その欠損している感じがいかにもで…)。現存部分は1m弱、完品ならばおそらく1・2mくらいの石棒でしょう。

残念ながら、通常は観ることは出来ません。でも、縄文時代の重要な祭祀具である石棒が、神社の神様と一緒に本殿に祀られていると思いながらお詣りすると、縄文の人々と、さらに強くつながれるような気がしました。

聖地と聖地を守る人々

帰り際に、氏子総代のSさんにご挨拶できました。境内で開催される祭事の準備、歌舞伎などの様々な催し、清掃活動のお話など様々伺ったのですが、Sさんから「二宮神社への惜しみない愛」が噴出されているのを感じました。

秋季例大祭ではショウガなどを奉納する風習があり、通称「しょうが祭り」と呼ばれているそう。
写真は河野禰宜様からいただいたしょうが湯。疲れて心が寂しくなった時にいただくつもりです。

先代の宮司様、河野禰宜様、そしてSさんはじめ、地域の皆様の「お社が大好きだ」という優しい気持ちが、この境内を包んでいる、だからこの境内に来ると温かさを感じ、元気になるのかもしれません。縄文の人々も現代の人々も、現在二宮神社が鎮座するこの地を愛し、聖性を感じた。そして共に生き、大切にしてきたんですね。それはまさに、聖地と聖地を守る人々の相愛関係です。いいですね、本当にステキな関係です。

いつも二宮神社にお参りすると、前向きな気持ちになるのですが、今回は皆さんとお話しできたことで、さらに元気を分けていただいた気がします。

最後になりますが、河野禰宜様、西の風新聞のIさん、総代のSさん、今日はありがとうございました!

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