武蔵で最も古くから発達していた地域・秩父
秩父は古くは知々夫国といい、武蔵国の根源となった三つの国うち、最も古い国なのですが、意外とそのことは知られていないかもしれません。
秩父は「山国」です。今の感覚で言うと平地の方が、たくさん人が住んでいそうですよね。交通の便がよさそうな感じですし。しかしそれは、車や電車による移動が前提となった現代での感覚で、少し前までは、よほどの高山は別として、「山」は決して交通の妨げになるものではなく、むしろ山の尾根や、沢を伝って、自由に往来していました。ですから、埼玉県下でも古い人間の痕跡があるのが、実はこの秩父地方なのです。縄文時代最初期(草創期)の遺跡が、秩父山地周辺から発見されています。中でも有名なのは橋立岩陰遺跡と神庭洞窟遺跡です。
神庭洞窟遺跡は、『縄文神社~首都圏篇~』(来月刊行予定)でも、三峯神社の神域にある聖なる痕跡としてご紹介しています。三峯神社は、秩父地方でも「奥秩父」と呼ばれる奥まった地域に鎮座するお社で、日本独自の山岳信仰を縄文から今に至るまで継承してきたお社と、私は考えているのですが、橋立岩陰遺跡が属するエリアにも、それと同じくらい深く濃い縄文の痕跡を見ることができます。それが、橋立岩陰遺跡であり、武甲山御嶽神社なのです。
秩父盆地最大の聖地・武甲山
橋立岩陰遺跡は、武甲山の山麓に鎮座する橋立観音堂境内にあります。今回縄文神社でご紹介しなかったのは、仏教寺院だったことが大きいのですが、「縄文神社」と意味合いは変わらないと思います。こちらも、縄文時代からつながる、秩父を代表する聖地です。
橋立岩陰遺跡が位置する「武甲山」は、秩父盆地のコスモロジー(宇宙観)の中心をなす存在です。秩父盆地を訪れると、その世界観は一目で理解できると思います。秩父盆地のどこから見ても、武甲山の山容がドドーンと見えるんです。日本人にとって山は信仰の対象ですが、特に単独峰で円錐形の山というのは「神奈備山」とも呼ばれ、神の鎮まる山として、特に崇拝されました。武甲山は、絵に描いたような「神奈備山」。まさに秩父盆地を統べる神、雄大で美しい聖山なのです。
その威容は、縄文時代にも圧倒的だったと思います。その証拠に、山頂から縄文時代の石斧や土器などが出土しており、縄文時代にも「登拝」が行われていたのではないかと考えられます。山頂には、今も武甲山御嶽神社が鎮座していますから、これぞまさしく、”縄文神社”です。
片道2時間ちょっとで登拝可能!
しかし、現在の武甲山は、石灰岩が採取されるために、日々その山容を変え続けている山でもあり、遠くから見ても、山肌が削られている様子はよくわかります。
私は子供のころからその様子をずっと見てきましたから、山の中には入れないのではないかと勝手に思い込んでいました。でも、実はちゃんとその山頂に登れるんです。
橋立観音堂からも登ることができるのですが、私は表参道から登拝してみました。
表参道登山口にあたる一の鳥居には駐車場があります。駅からはかなり遠く、車でここまで来るのがいいかなという感じなので、今回は車でやってきました。しかしここに車を置いて登るとなると、往復同じ道で戻ってくるほかなくなるんですね。一の鳥居から登山して、橋立観音堂に降りるルートで一度巡拝してみたいですね。それは、またの機会に…
気持よすぎる表参道
平日に参拝したのに、駐車場はいっぱいでした。ハイカーの皆さんにはよく知られたコースなんですね。一人で登っておられる方もたくさんいましたが、それも納得です。
というのも、かなりちゃんとした勾配の山道なのですが、鎖場や尾根歩きもなく、私のようなヘナチョコでも、安心して登ることができます。ただ、やはり私のようなヘナチョコは、ひとりは危ないかな。誰かと一緒に登ったほうが、いいと思います。
参道を歩きながら、武甲山の豊かさに驚きました。いつも見ていた武甲山は、石灰の採取場のある面だったんですね。採取されていない面を歩くと、その豊かさを実感できます。水が豊富で、沢筋に露出した岩から鉱物資源の塊だということが見てとれ、植生も豊富です。
この山が、山容の美しさからも篤く信仰されたことはわかりますが、その身のうちに抱えた豊かさも、信仰の理由だったんじゃないか、と改めて実感しました。
私と友人は、あまりにも見るべきものが多すぎて、一般的コースタイムは2時間ちょっとのところを、山頂に到着するまでに3時間半ほどかかってしまいました。それくらい、思わず見とれてしまうような風景や、植物が豊富なのです。改めて素晴らしい御山です。
山頂に鎮座する立派で優しいお社
山頂より少し手前に、武甲山御嶽神社が鎮座しています。山頂なので、こんなに大きなお社と思っていませんでした。
武甲山山頂遺跡の発掘資料を見ると、以前はもうすこし高い位置にお社があったようですね。昭和50年ごろに、現在の場所に遷座したとあります。その際に調査が行われましたが、残念ながら縄文時代の遺跡がどこであったかはこの発掘では明らかにできなかったようです。しかし『埼玉県史』によると、武甲山上から石斧などが出土したことを明記しているので、この周辺から出土したことは確かと言っていいと思います。
お社は、昭和50年ごろということで新しいものですが、とてもいい雰囲気です。周囲にはカタクリのやギボウシの若芽が生え始めていて、のびやかで明るい空気が漂っています。
本殿の脇を通り、さらに登っていくと武甲山山頂があり、秩父盆地が一望できます。その美しさにうっとりしつつ、山頂にある金網に近づいて見おろすと、いつも見ていた採掘場が見えました。山頂のぎりぎりまで採掘現場が延びているんですね。
表参道は、昔の姿を感じさせてくれますが、山頂に至ると、今の姿も見ることができるんです。変化している現代と、縄文から変わらず続いてる祈りの姿を、一気に体感できるような気がしました。ちょっと不思議な気持ちになりますが、それでも武甲山御嶽神社周辺に漂う優しい雰囲気は、安定していると感じます。きっと縄文からの武甲山の力強さは、今もつながっているんだと思います。
山麓の里宮から遥拝するのまたよし
実は、武甲山御嶽神社には、山麓の根古屋という地に里宮があります。明治の初めに山頂のお社を遷座し、こちらを里宮、山頂を奥宮としたと、境内の説明板に書いてありました。
とすると、山頂にお詣りするなら、こちらにもお詣りしたほうがいいですね。両方行くと、コンプリートという感じがします。
宮司様のお話では、里宮でお詣りして武甲山を遥拝するのでも、ちゃんとお詣りしたことになるそうなので、もし、お天気がちょっと不安な場合は、里宮にお詣りするだけにとどめて、山頂の奥宮には改めて…とするのがいいかもしれません。
里宮では、戦国時代から始まった御神楽が、現在も奉納されているそうです。コロナが落ち着いたらぜひ改めて、お祭りの日に参詣して、御神楽も拝見したいなあと、強く思っています。
武甲山御嶽神社(山頂・奥宮)
基本情報:埼玉県秩父郡横瀬町大字横瀬
武甲山御嶽神社(根古屋・里宮)
基本情報:埼玉県秩父郡横瀬町大字横瀬879
縄文情報:横瀬町立歴史民俗資料館
……武甲山山麓から出土した縄文時代の遺物や、武甲山信仰の貴重な資料が目白押し!
必見です!!
近くの縄文神社:三峯神社(『縄文神社~首都圏篇』+本サイトに掲載予定)
コメント
こんにちわ。縄文神社楽しく拝見しています。
さて、群馬県の藤岡市には貴書にぴったりだと思われる神社があるのでご紹介します。
・諏訪神社:本宮が古墳の上に鎮座しています。
・土師神社:近くに土器を焼いていた窯の遺跡があります。
また、境内に土俵があり日本三辻と呼ばれています。
ご紹介までですが、これからも楽しみにしています。
飯塚さん、コメントありがとうございます!
藤岡をお勧めくださるということは、藤岡のご出身でらっしゃいますか??
お勧めいただいた神社、以前調べた時には、周辺が古墳時代以降の複合遺跡だったような気が…。
縄文時代の遺跡があったかどうかも、改めて調べてみたいと思います。
余談ですが、藤岡ですと「鬼石神社」がありますね!
私にとって、エポックメイキングな神社さんでして、
記事にも書かせていただきました(→https://jomonjinja.jp/oniishi-jinja/)。
藤岡市は遺跡がたくさんあるので、他にもきっと縄文神社があると思います。
また気がつかれましたら、ぜひお教えください!
本年4/15武甲山御嶽神社里宮にて神楽執り行います。ご都合が合えばいかがでしょうか。
お誘いありがとうございます!ぜひとも伺いたいです~!