
古東京湾の最深部=現在の渡良瀬遊水地
縄文時代には、今よりも内陸部まで海が入り込んでいたことはよく知られています。特に7000年前頃(縄文前期)にはもっとも海面が上がり、現在の渡良瀬遊水地付近まで海が来ていました。渡良瀬遊水地は、埼玉・栃木・群馬・千葉の四県にまたがる大規模な遊水地ですが、現在の東京湾から考えると、相当に内陸に位置します。縄文時代にはこんなにも海が広かったのかと、驚きを禁じえません。
渡良瀬遊水地の北西畔には、古東京湾最深とされて有名な篠山貝塚をはじめ、貝塚がいくつも確認されており、また遺跡も多く発見されています。拙書『縄文神社 関東甲信篇』でもご紹介した「藤岡神社」もこの界隈ですし、そして本項でご紹介する中根八幡神社も、渡良瀬遊水地の北畔に位置しているのです。

豊かな湧水と巨大な環状盛土遺構
豊かな湧水と感情 鳥居の右側に今も湧水があり、その湧水を中心とした周辺に、環状盛土遺構が発見され「中根八幡遺跡」と呼ばれます。
この「環状盛土遺構」とは何かと申しますと、かなり特徴的な集落構造体…とても申しましょうか。生活を目的とした集落なのか祭祀遺構なのか、はたまた…と諸説あるようなのですが、いずれにしましても縄文後期前半(約4000年前)から造られました。
円状に土を盛り上げて造成されてもので、内側をけずって円状に盛土をしています。そのためドーナツ状になっていて、盛土の高さは固いところですと2mにも及ぶのです。八幡遺跡では、その特徴的な地形がわかりやすく残されています。

上の図を見てください。環状盛土遺構の位置を示したものです。赤い矢印でマークしたところが、八幡神社の社殿になります。環状盛土遺構はこんなに巨大な構造物だったのです。

そしてちょうど湧水池のところで、盛土が途切れていますね。ここのところから湧水にアプローチできたということです。つまり、湧水にまつわる祭祀に関係してるのではないかと想像します。
湧水を守護するかのような、優しい佇まい

豊かな水量の池を右手に眺めながら進み、社殿の前でお参りします。
再び振り返って池を眺めていると、「この湧水が縄文時代から、ずっと人々の暮らしを支えてきたんだなあ」と感慨深い気持ちになります。境内には、温かい雰囲気が漂っているように感じました。八幡さんがこの湧水を守っているかのような、そんな感じなのです。
とすると、環状盛土遺構は祭祀遺跡だったとする説があるのですが、湧水を祀るための構造体という意味では、八幡神社と同じ意味合いだったかもしれないな、なんて思いました。いずれにしてもこの湧水こそが、この地の主なのではないかな…と。
社殿の右手から、池の方に向かって、まるで尾根のような道がのびています。そこを進んでいくと、左手に広大な畑が見えてきますが、この一帯に環状盛土遺構があったわけですね。

図で見ると、ちょうど真ん中にあたるあたりに、小さなお堂があります。中世のものだそうですが、如来坐像が安置されているとのこと。この一帯は、中世から近世にかけてお寺が営まれていたんだそうです。形は変われど、ずっと聖なるものへの祈りの場があり続けた場所なんですよね。
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中根八幡神社はとても静かで、穏やかなお社です。お参りすると、ほっこりとした気持ちに包まれて、じわじわと明るい気持ちになれる場所‥…。こうして写真を見直してみていたら、久しぶりにお参りしたくなってきました。春になったら、またお参りにでかけようと思います。
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