【いろもろ日記】11/4 大柱と石棒と御柱

前宮の御柱(手前が二之御柱、奥が三之御柱)



諏訪信仰のハイライト、「御柱」--つまりは「立柱祭祀」について色々調べている中で、『日本書紀』推古天皇28年10月条に「砂礫(さざれし)をもちて檜隈陵の上に葺く。すなわち域外(めぐり)に土を積みて山を成す。よりて氏ごとに科せて、大柱を土の山の上に建てしむ。時に倭漢坂上直が樹てつる柱、勝れてはなはだ高し、故、時の人、なづけて大柱直と曰う」(日本古典文学全集『日本書紀』をもとに一部漢字を開きました)とあることを知りました。これは気づいてなかったなあ。

立柱は、そのまま「柱を建てる」という祖霊祭祀で、世界中で見られる割とポピュラーな祭祀スタイルです。だいたい一つの柱につき一つのグループが奉斎することが多く、それが共通点みたいな感じなんですが、この記述でもはまっていて、おおお、となりました。

縄文遺跡にみられる立柱祭祀も、一本ではなくて、そんなにたくさん建てる?ってくらい数が多いことがあるのですが(規則的に建てられてますけども)、諸外国の例を見ると、本来の意味的には柱は一本でいいはずなんです。でもいっぱい建てるのはなんでだろうな、と以前から思っていたのですが、上の日本書紀の記述を見て、ああそういうことか?!と一人合点しました。

国立市の緑川東遺跡では、巨大な石棒が4本、完形できれいに並んだ形で出土して話題になりました。非常に面白い事例で、どう読み解くかは研究者の先生方次第とは思いますが、たしか「各部族の石棒をそれぞれ持ち寄ってここに収め、ともに神祭りをしたのではないか」といった説を拝見したことがあり、私的にはすごく納得した記憶があります。石棒も遠くまで移動している祭祀具(あるいはご神体?)なので、意味合い的には同じなんじゃないかと。

御柱も、4本の柱それぞれに担当している地域があるそうですが、それぞれのグループが、自分たちの努力でもってご神体を持ち寄る、そして集合して祝祭…というフローに大きな意味があるんだろうな…、と思いました。

いや~、日々勉強でございます~。

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