香取の海を取り巻く”縄文神社”的世界の中心地「香取神宮」(千葉県香取市)

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香取神宮も摂社3社もやっぱり…

千葉県の北部、房総半島の付け根あたりには、「下総台地」という高台が広がっています。標高20メートルから40メートルの台地で、縄文遺跡の宝庫でもあります。…ということは、《縄文神社》がある確率が高いということになります。

その下総台地に鎮座する「香取神宮」は関東において最も重要な神社の一つで、遺跡や貝塚が境内にある、まさに《縄文神社》でもありました。拙著『縄文神社~首都圏篇~』でも、一番最後を飾っていただいています。びっくりしたのが、香取神宮はもちろんなのですが、特に重要とされている境外摂社(*)3社もまた《縄文神社》だったということ。そして、香取神宮とその3社は、かつて周辺に広がっていた「香取海」(縄文時代の海は古鬼怒湾と呼ぶ)という内海を取り巻くように、半島上に鎮座していたのです。
*境外摂社……摂社は、本社祭神の親神、きょうだい神、后神・御子神など系譜的に連なる神、祭神の荒魂、土地の地主神を祀る神社。それ以外に、特別の由諸がある神社。境外摂社は、本社境内とは別の場所に独立して鎮座する摂社のこと。

香取市周辺には、今も香取神宮を中心とした信仰世界が展開しています。その世界の柱となっている香取神宮と摂社がぜんぶ《縄文神社》だったんだと知って、私は改めてその底力の凄さを思いました。そしてこれは、やっぱり偶然じゃない気がするんです。

水色の部分は標高0~15m(国土地理院の色別標高図で作成・転載)

『縄文神社~首都圏篇~』では、そんな思いを込めて香取神宮と摂社3社(側高そばたか神社、返田かやだ神社、大戸おおと神社)をご紹介しているのですが、その地理的な関係性を視覚的にはご紹介しきれかったので、そのことについて、本稿でちょっと補足したいと思います。まず、上の地図をご覧ください。

この地図はそれほど正確ではないので、イメージとしてご覧いただけたらと思いますが、縄文時代の海外線はざっくりこんな感じでした。水色の部分が内海(古鬼怒川湾)。黄緑~黄色~オレンジのところが陸地です。それぞれの神社が、縄文時代には舌状半島の先に近い場所に位置していることが分かります。

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大戸神社と側高神社の重要性


大戸神社は、主祭神が「香取神宮の主祭神の親神」とする説があり、古来、香取神宮よりも先行して存在するお社だという印象があったことを伝えています。遺跡を確認すると、確かに大戸神社境内からは縄文早期の遺跡が出ており、香取神宮よりも古くから人の痕跡がありました。そして側高神社も早期の遺跡が出土していて、大戸神社と同じくらい古そうです。

側高神社。斜めに参道があるスタイルは対馬の海神にまつわる神社でよく見かける

側高神社は祭神が「神秘」とされ、現在でもその正体は不明…(なんだか妙に心惹かれちゃいます)。伝承から類推するに、おそらくは女神なんですね。私はその根源とは「内海の女神」だったろうと想像しています。そしてもう一つ、霊山・筑波山の遥拝地としても重要だったのではないかと思います。

つまり、この側高神社・大戸神社ともに香取神宮の摂社として成立したのではなく、そもそも重要な聖地であったところにお社が建った。そしてかなり新しい時代になって、香取海南部をゆく海民の信仰世界が、香取神宮を中心にまとめられたのではないか、と私は考えています。

ずっと中心地であり続ける香取神宮

ちなみに香取神宮の境内からは、縄文前期からの痕跡が確認されています。返田神社は周辺から中期以降の貝塚や遺跡が確認されています。香取神宮を中心として、船を操って行き来があったんじゃないかなと、想像してみるとなんだか楽しいですね。

いずれの神社がある場所も、特別な場所だったと思います。ではなぜ「香取神宮」が中心地になったんでしょう?

ここからはほとんど妄想ですが、やはり「湧水」が理由ではないか…と思います。香取神宮がある丘陵地(縄文時代には半島)は、たくさんの湧水ポイントがありました。湧水が多いということは、人をたくさん養えますし、また海をゆく人たちの補給地としても有用です。

香取神宮奥宮

香取神宮境内遺跡からは、もっとも継続的に遺物が発見されています(大戸神社も側高神社は前・中期の遺物は確認されていないようなので、断絶していた時間があります)。

縄文時代に起こったことを、古代以降の人々が明確に認識していたということではないと思いますが、しかし太古から継続して”祈りがあった場所”というのは、無意識にうったえかける磁場のようなものがある気がします。聖地の磁場、ともいえるでしょうか。

そんなことを考えながら、もう一度地図を見ると、それぞれを行き来する「縄文カトリ」の人々の姿が見えてくるような気がします。そして今はもうわからなくなっていますが、同じくらい重要な場所が他にもあったんじゃないかな…と考えてしまいますね。

香取神宮を取り巻く”縄文神社的世界”は、実に豊かです。もちろんこれまで通りにお詣りしても感動的なお社ですが、上の地図を念頭に置いたりしながら、改めてお詣りすると、また違った感覚を味わえると思います。ぜひ、試していただけたらと思います。

香取神宮
 基本情報:香取市香取1697-1

 側高神社:香取市大倉5

 大戸神社:香取市大戸555

 返田神社:香取市返田729

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